ビル・エヴァンス晩年の名アルバム You Must Believe in Spring

 
 こんにちは水音です。ご無沙汰しています。今日はボクの好きなピアニスト、ビル・エヴァンスの話です。
 
 ビル・エヴァンス晩年の名アルバム『ユー マスト ビリーヴ イン スプリング(You Must Believe in Spring)』、このアルバムはエヴァンス死の翌年、1981年に追悼盤として発売されましたが、録音は1977年。3年ほど眠っていたんですね。アルバム表題の You Must Believe in Spring を日本語に訳すと、「あなたは春(の訪れ)を信じなければなりません」。つまり、春は必ず来るんだよ、という意味ですね。でも、悲しいかなエヴァンスにとって1981年の春は来なかった・・・。美しくも悲しいメロディが、まるで己の死を予感しているかのように聴こえます。
 
 エヴァンスはこの曲がお気に入りだったようで、エヴァンスと同年代のジャズシンガー、トニー・ベネットとのデュオアルバム『トニー・ベネットビル・エヴァンス  トゥギャザー アゲイン (Together Again)』(1977年)にも同曲が含まれています。
さて、トニー・ベネットが歌うこの歌の歌詞は、
 
When lonely feelings chill the meadows of your mind. 
Just think if winter comes, can spring be far behind? 
Beneath the deepest snows the secret of a rose is merely that it knows. 
You must believe in spring. 
Just as a tree is sure its leaves will reappear. 
It knows its emptiness is just a time of year. 
The frozen mountain dreams of April's melting streams 
how crystal clear it seems.
You must believe in spring 
You must believe in love and trust it's on its way 
Just as a sleeping rose awaits the kiss of May 
So in a world of snow, of things that come and go Where what you think you know, you can't be certain of
You must believe in spring and love 
 
失恋した寂しい心を凍てつく冬に例え、雪解けと芽吹きの春が必ず来る。今は雪の下で眠るバラだって春からの目覚めのキスを待っている、と新たな愛の訪れを春の訪れをになぞらえて、信じて待ちましょう!と歌っています。
この歌詞はアラン&マリン・バーグマン(Alan & Marilyn Bergman)によるもの。この二人はアメリカで活躍する作詞家夫妻で、バーブラストライザンド主演の映画『追憶(The Way We Were)』の同名の主題歌も彼らの手によるものです。
 
 ですが、そもそもこの曲はジャック・ドゥミ監督によるフランスのミュージカル映画ロシュフォールの恋人たち』の劇中歌「マクサンスの歌(Chanson de Maxence)」なのです。この歌詞は監督のジャック・ドゥミによるもので、春も失恋も全く関係ないものです。
ボクはフランス語は得意ではないので、歌詞の日本語訳はMonsieur Double Hさんのブログ「フランス語の扉を開けてみた」(http://enseignant.blog102.fc2.com/blog-entry-47.html?spから引用させていただきました。
 
Chanson de Maxence
マクサンスの歌
 
Je l'ai cherchée partout j'ai fait le tour du monde 
あちこち彼女を探したよ 世界中を回ったのさ
De Venise à Java de Manille à Hankor 
ヴェネチアからジャワ マニラからアンコール
De Jeanne à Victoria de Vénus en Joconde 
ジャンヌもヴィクトリアもいたけど
ヴィーナスもモナリザも見たけど
Je ne l'ai pas trouvée et je la cherche encore 
見つけられなかった そしてまだ探し続ける

Je ne connais rien d'elle et pourtant je la vois 
彼女のことはなにも知らない でも僕にはわかるんだ
J'ai inventé son nom j'ai entendu sa voix 
名前もつけたし その声も聞いたよ
J'ai dessiné son corps et j'ai peint son visage 
彼女の姿を描き 顔も描いてみた
Son portrait et l'amour ne font plus qu'une image 
その肖像画と愛はもはや一つだけのイメージに完成した
Elle a cette beauté des filles romantiques 
彼女はロマンチックな娘 ボッティテリの絵画の女の美しさをそなえ
Et d'un Botticelli le regard innocent 
穢れなきまなざしをもち
Son profil est celui de ces vierges mythiques 
そして 神秘的な聖母の横顔をもち
Qui hantent les musées et les adolescents 
美術館や青春期の夢に出没する

Sa démarche ressemble aux souvenirs d'enfant 
その歩き方には子供時代の名残があり
Qui trottent dans ma tête et dansent en rêvant 
僕の頭の中を駆け回り、夢を見ながらダンスする
Sur son front, ses cheveux sont de l'or en bataille
その額では 金色の髪の毛が乱れる
Que le vent de la mer et le soleil chamaillent 
海風と太陽の争いによって

Je pourrais vous parler de ses yeux, de ses mains 
僕はあなたに彼女の目や手のことを話すことが出来るんだ
Je pourrais vous parler d'elle jusqu'à demain 
彼女について明日までずっと語ることだってできる
Son amour, c'est ma vie mais à quoi bon rêver? 
彼女への愛が僕の人生 でも夢をみて何になる?
Je l'ai cherchée partout je ne l'ai pas trouvée 
あちこち探したさ でもまだみつかってない

Est-elle loin d'ici? Est-elle près de moi? 
彼女は遠くにいる? それとも近くにいるのかな?
Je n'en sais rien encore mais je sais qu'elle existe 
それはまったくわからない でも 彼女が存在していることは確か
Est-elle pécheresse ou bien fille de roi? 
彼女は罪人か? それとも 王女か?
Que m'importe son sang puisque je suis artiste 
血筋なんてどうでもいいのさ だって僕はアーティストだから
Et que l'amour dicte sa loi
愛だけが法律を作るんだ
 
いかがでしょうか。
このシーンは、ロシュフォールの街に寄港したフランス海軍の水兵マクサンス青年(演:ジャック・ペラン)は、主人公一家が営むカフェでくつろぎます。
ロマンティストの彼は水兵として世界中の国々を巡りながら、自分の理想とする女性を探していたのです。
その女性とは? 残念ながらカトリーヌ・ドヌーブ演じる主人公のデルフィーヌでもなく、姉のソランジュでもなく(ドヌーブの実姉、フランソワーズ・ドルレアックが演じています)。
夢多き芸術家肌のマクサンス青年の理想の女性は、モナリザかヴィーナスか、それとも聖母マリア
いえいえボッティチェリ描く美しい女神の様な横顔、額に掛かるブロンドの髪、時々見せる子供っぽい仕草や無垢な眼差し、優雅に踊るその姿。
一体彼女は何者? 異国の王女か、はたまた咎人か。
未だ会った事はないけれど、彼の頭の中にははっきりと存在し、名前も付けたし、描くことさえできる理想の女性・・・
と、マクサンス青年はその幻の女性を歌っているのです。それだけでなく歌詞には「春(le printemps)」という単語もない始末。
強いて言えば歌詞に出てくるBotticelli、これはルネサンス期のイタリアの巨匠、サンドロ・ボッティチェリ。彼の『プリマベラ(春・Primavera)』という作品から英語の歌詞はインスパイアされたのでしょうか?
 
 今やこの曲はエヴァンスの  ”You Must Believe in Spring“  としてジャズ史上に残る名曲となり、いろいろなジャズミュージシャンによってカヴァーされています。
さて、エヴァンスの死は、また日本でコンサートが聴けると思っていたのでファンとして衝撃的でした。
ところで、この追悼盤発売当時このアルバムはスイングジャーナルのあのブルーのロゼッタマークのゴールドディスクにも選ばれていなかったと記憶しています。
エヴァンスといえばリバーサイド時代のものが最高と言われていて、麻薬のせいでしょうか、晩年の彼の評価はイマイチでしたから。
ですが、このアルバムは時間が経つにつれて評価が高まり、亡き内妻エレインに捧げた”B Minor Waltz“や、亡き兄ハリーに捧げた  ”We Will Meet Again“。「自殺は痛くない」とふざけたサブタイトルを持つコメディ反戦映画の主題歌”Theme From M*A*S*H“さえもエヴァンス自身の死と相まって哀切と無常漂う独特の世界観で、あの『ワルツ・フォー・デビイ (Waltz for Debby) 』と並び称される名盤となりました。
 

たまにはまったりとレコードで聴きたいね。
「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング/ビル・エヴァンス